自分を正当に判断・評価してあげられない
何を判断し、何をどういう感想を抱こうにも、自分より他人が絶対的に正しいと感じます。
特に、自分の判断・意見が的を外れていた時に激しく「やはり自分の思想や所感は全てまるっきり間違いなんだ」と思い込んで苦しく、その強迫的な思い込みがどうしても拭えないことに強烈な生きづらさをおぼえます。
そして、その苦しい瞬間を親しい人に見せてしまい、困らせた挙句「そんなことないよ」の答え待ちをする自分が嫌いで仕方ありません。
「間違えてもまぁいっか」と楽に考えなさい、と人は説きます。
それができない思考回路が組まれているから死んでしまいたい程悩んでいます。
間違えても(別にどうでも)良いと思う自分は、自分の中に存在しないからです。
他人が判断するものはとても安心します。
私にとってそれは限りなく正解に近いからです。
思わず全てそれに身を委ねて、中身がなく、面白くない、付き合い甲斐がなく、相手に不快・不安な思いをさせてしまうこともあります。
幼い頃から「何度言えば分かるんだ」と言われ続け、何度言われてもできず、何回目にできるかなんて答えられる筈もない自分は無価値で、不出来で、やることなすこと全てが間違った人間であると絶望しながら育ちました。
所謂「自己肯定感」が著しく低い理由は
若くして子供を持った両親の間違った叱責と教育の結果か
当時は判明していなかった発達障害の傾向を私も両親も把握していなかった結果か
そのどちらもか
はたまた他の理由か
その判別もつきません。自分の判断が間違っているとしか感じられないので。
そして、この思考の癖を諦めたり開き直ることができない変なプライドの高さも相性が悪い意味でバッチリ噛み合っているように思います。
生きていく上で、大なり小なり判断の連続である上で、全てにおいて間違っている私は
この思い込みの癖が抜けなくて毎回毎回死んでしまいたいほど苦しいです。
本当は、こんなことに囚われずに生きたかったです。