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今日で仕事に行けなくなった日からちょうど1年経ったので、当時の話をしようと思います。 1年前のちょうど昨日、午後4時頃に本社の人事の人から呼び出しがありました。あぁ遂にか。と思い呼ばれた部屋へ行きました。それまでの人事の対応に不信感しか抱いていなかったので期待せずに行けてたらどれだけ良かったでしょう。まだ諦めきれてなかった私はひと握りの期待を持ってしまっていました。案の定、言い渡されたのは出向の延長でした。絶望の一言じゃとても言い表せないような気持ちになったのを今でも鮮明に覚えています。目の前が真っ暗になりました。けれど不思議なことに涙は出ませんでした。人は本当にショックだと涙が出ないものなんですね。涙が出るより先に『死のう』という気持ちが強くなりました。出向の延長を言い渡されたあと何を話されたか全く覚えていません。それくらいショックで絶望していました。そのあとも仕事があったので、魂が抜けたようにふらふらになりながら仕事に戻ったのも覚えてます。少しずつ言われた事を脳が理解し始めて、『私がこれまで訴えてきたことなんにも伝わってなかったんだな』『これまで言ってきたことがまるでなかったことにされてた』『今までずっと甘えだと思われてたんだな』『この人たちを信じた私が馬鹿だったや』『……また一年こんな毎日が続くの?』『まだ耐えなきゃいけないの?』『私にいい所なんて何も無いって言ったくせに戻らせてくれないんだ?』『いい所何もないって言うくらいなら戻らせてよ。そんなこと言える人のところでなんか働きたくないよ』『1年、耐えられる気がしない。』『またいつまでって伝えられなかったから1年じゃないかもしれない』『もしかしてこれからもずっとここにいなきゃいけないのかな』『……いつまで?何時まで耐えなきゃ行けない?』ってこれまで抱え込んでた色んな気持ちが爆発しそうになって膝から崩れ落ちそうになったし涙が出そうになった。だけど仕事中だから耐えた。耐えて必死に笑顔作って最後まで仕事した。仕事を終えて事務所を出た瞬間涙が溢れて止まらなくなった。もう死んじゃおう。生きてても辛いだけだ。もう誰も信じられない信じたくない。苦しい。辛い。早く楽になりたい。私は幸せになれないんだ。なっちゃいけないんだ。車の中で声を出して泣いた。早く帰らないと心配かけるからぐしゃぐしゃに泣きながら車を出そうとしたら隣に停めていた人が窓を叩いて、私を止めた。止めてくれたのは一時期お世話になっていた私にとても優しくしてくれていた他の部署のおじいちゃんだった。ぐしゃぐしゃの顔のまま窓を開けたら『帰るのはもうちょっとあとでもいいんじゃない?思いっきり泣いてから帰ったらいいよ。』『僕たちはとり天さんの味方だからね大丈夫だからね』『泣いてスッキリしてから帰りなね。』そう言ってくれたけど、私は泣いたまま車を運転して帰った。 帰ってから、食欲も湧かなくて何も食べる気にならなくて倒れ込むようにベッドに飛び込んで声をあげて泣いた。泣いても泣いてもスッキリしなくて苦しいままだった。着替える気力もなくてひたすら泣いた。落ち着いても気力が出なくてお風呂に入る気も着替える気もわかなくて、渋々着替えだけしてその日はお風呂に入れなかった。夜になるとまた涙が止まらなくなってずっと泣いて眠れなかった。 次の日の朝、起きて『仕事に行かなきゃ』と思った途端涙が溢れて止まらなくなった。今まで何度も泣きそうになったことはあったけど、朝起きてからすぐ涙が止まらなくなったのは初めてだった。制服に着替えるのも手が震えて思うように出来なかった。ボタンを留める度に涙が止まらなくて苦しくて仕方なかった。それでも『行かなきゃ迷惑をかけてしまう』と泣きながら着替えた。泣きながらキッチンに行って泣きながら朝ごはんを食べた。朝ごはんの味がしなかった。泣いてまともにご飯が食べられなかった。そんな私を見て祖母が『本当に仕事に行くの?』と心配した。『行かなきゃ。行かないと迷惑掛けちゃう迷惑かけたくないのッ使えないと思われたくないの』と泣きながら答えたのを覚えてる。朝泣く時は必ず家を出てからと決めていた。朝から心配かけたくなかったから。だけどこの日だけは感情が上手くコントロールできなくてずっと泣いていた。只事ではないと思った祖父も『今日は休んだ方がいい』と止めに入った。『そんな状態じゃ運転も危険だし、行ってもまともに仕事にならんぞ』そう言われても私は泣きながら『でも行かなきゃ。行かなきゃダメなの』と泣きながら答えたのを今でも覚えてる。何が私をそうさせたのかは分からない。頑なに休もうとしない私を祖父母はひたすら説得してくれた。ようやく休むことを決めたのは良かったけど、電話することも怖くて困っていたら祖父が電話をしてくれたのも覚えている。テンパった祖父が熱が出たと嘘をついたことも。休むことが決まっても涙が止まらなかった。だけどようやくその時『もう辞めたいもう無理』と言えた。だけどその日は何をしてもダメで、涙が止まらなくて部屋の隅っこで丸まって泣いていた。 そこからずっと休職をして延期をして期限までに復帰が出来なくて、逃げるようにして今年の5月会社を辞めました。今は辞めてよかったと思ってます。無理やり復帰して続けてたらきっと今私はここに居ないと思っています。ずっと死にたくて仕方なくていつ自殺してもおかしくない状態だったから。続けてたらきっと遅かれ早かれ自ら命を絶っていたと思います。それくらい苦しくて辛くて生きているのさえ嫌になっていました。1年経って、ありがたいことにようやく落ち着いてきました。働くことへの意欲も出てきました。けれどもまだフラッシュバックが時々あります。今日だって思い出して苦しくなります。まだ思い出話だと笑って話すことは難しいです。あの人たちを許す気にもなれません。それでも少しづつでいいから前を向いて歩いて行けたらと思っています。 長々と自分語りをしてしまいすみませんでした。
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