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メンタルヘルス
#無気力 #トラウマ #うつ
希死念慮を抑えるにはどうすれば良いでしょうか?高校時代から抑鬱感があり、大学時代を経て職場のストレスと家族身内関係で限界が来て、現在、希死念慮を抑えるのに必死です。 大学時代は抑鬱感を改善する為に体育学系の大学に進学しました。自分自身は進学を拒否しましたが、親から抑鬱感を抱えていることを徹底的に人格否定されました。とにかく筋トレをしろという、逃げることを決して許さない家庭環境でした。長男としての重圧が凄まじかったです。 大学では必死で身体を鍛えましたが、より抑鬱感が悪化しました。抑鬱感を抱えているから筋トレという苦行をしなければならないと責めるようになってしまい、幻聴に悩まされました。僕を罵倒する声がよく脳内に響いていました。ですが、逃げることが出来ませんでした。精神疾患は甘えという考えを両親は持っており、苦しさを訴えても「人生は苦しい」と諭されるだけでした。 就職は地元の企業でした。長男だからと実家を離れることが許されず、更に身内からは大卒であることを疎まれ、険悪な関係になりました。 学生時代にやってきたことが、「筋トレ」という精神的苦痛であり、卒業後は長男として実家を支えながら職場で上司からのパワハラに耐え続けてる日々を送り、精神的苦痛が形を変えて続きました。 それでも何とか活路を見出そうと、地域の活動に参加してきましたが、その活動も人間関係で雲散霧消してしまい、希死念慮に強烈に襲われ、自殺する勢いで実家を飛び出しました。 両親には泣きつかれましたが、もう限界でした。 「逃げるな」という環境で生きてきましたが、初めて逃げました。 強烈な希死念慮が沸いてきて、ビニール袋を被る等の未遂を何度も経験しました。死んだら過去の後悔も消えるのではないかと感じています。
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マモリメの手紙
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家庭環境が不全なのでしょうか?自分自身が駄目だったのでしょうか?自己肯定感が低く、憂鬱感も強く感じてきました。 母は人と関わることが苦手で、小さい頃から希死念慮を抱いていたそうです。母の実家は男尊女卑が激しく、除け者扱いされていたそうです。その為、母は実家と絶縁しました。 父の実家は、会ったことのない僕の祖父がギャンブルに溺れて借金取りに追われる荒れた環境でした。身内は散り散りになりました。祖母はヒステリックで暴れグセがあったようです。父の結婚が決まった時、祖母は「息子が取られる」と思い狼狽えたそうです。祖母は母の実家に乗り込み、暴れたそうです。破談寸前になりました。両家の関係は冷え切りました。 そんな2人の間に長男として生命を授かった僕ですが、幼年期は自閉症を疑われました。当時の幼稚園園長から、診断を受けることを勧められ、母に恥をかかせてしまいました。プール教室に所属していましたが、馴染めずに辞めることになりました。 小学生時代は合気道を2年程習ったり、博物館で自然学習の子供講座に数年所属していました。子供講座は化石に関する事や野生の昆虫等について勉強し、特に長く続けられた習い事でした。しかし両親は否定的でした。 「ただのマニアになってしまう」ということで不機嫌な言動を取られ、中学生頃から次第に自然学習から身を引くことになりました。 また両親はスポーツ·武道等の好き嫌いが兎角激しく、「サッカーは悪餓鬼になるから駄目」、「野球は丸坊主になるから駄目」、「柔道は顔が不細工になるから駄目」「剣道は声が気持ち悪いから駄目」等挙げたら枚挙に暇が無い程でした。 親の好みに応えなければ、何をされるか分からないという恐怖がずっと頭の片隅にありました。 「親は子供を殺して良い。出来の悪い子供を世に送るわけにはいかないから。親の権利であり責任。」という母の発言に震えてきました。母からは鉛筆で刺されたことがあります。 母は、実家で除け者にされたこと、父方の実家から受けた仕打ちを幼少期の僕に愚痴るように泣きながら話していました。憂さ晴らしのサンドバッグにされた気分でした。 そんな母は人の好き嫌いが激しく、高校時代、好きだったアイドルを不細工だと徹底的に貶されました。母の好みに合わせなければ何をされるか分からないという恐怖を感じ、好きな異性のタイプが分からなくなりました。テレビを観る度、「この女嫌い、あの女嫌い」と呟かれ、口に出すことが怖くなりました。父からは「母さんのような女性と付き合いなさい。地味な女性の方が安定する。恋愛と結婚は違う。長男だからそこのところしっかりしろ。」と口酸っぱく釘を刺されました。 父は気が荒く、家具を壊したり、皿を割ったり、歯向かえば何をされるか分かりませんでした。 殴られることも何度もありました。特に高校時代は激しく、一言でも意見を言えば頭に血が上る様子でした。 大学は親の強い希望で地元の大学に進学しました。父からは「ここに進学しなければ殺す。家庭を滅茶苦茶にする気か!!」と脅され、母からは「大学で自殺したいと思うくらい追い詰められろ。親はアンタが生まれたせいで自殺したいと思うくらい恥をかいていたから」と吐き捨てられました。 拒否すれば、当時反抗期だった妹にも危害が及ぶかもしれないと思い、志望だった国際関係学部への進学を断念しました。 高校時代からの憂鬱感を抱えながら、大学時代は親を見返そうと必死で身体を鍛えましたが、親からは必死で身体を鍛えている様を面白可笑しく笑われました。「面白い男にする為に行かせたんだよ。お前みたいな根暗な馬鹿が鍛えていたら面白いだろ。」という父のほくそ笑みながらの発言に、僕は完全に心が折れました。当時は希死念慮すら湧かないほど虚無でした。 卒業後は地元の会社に勤めてきました。「過去は変えられないから、これからを良くして行こう」という精神でやってきましたが、複数の上司から便利屋として昼夜問わずこき使われました。こき使われるだけでも有難いという心理状況でした。そして、希死念慮が湧くようになり、自殺方法を調べるようになりました。実際にビニール袋を被る等の未遂も行いました。 両親との関係に限界を感じて距離を開けました。実家を離れる際、相当揉めました。父はずっと影響下に置きたい様子でした。母からは「親離れすることが自立することじゃない。育てた親を支えることが自立すること」と喚かれました。 幼少期からを振り返り、どのように対応すれば良かったのでしょうか?家庭とは何処もこのようなものなのでしょうか? 30歳を過ぎた現在、生まれ育った環境に上手く順応出来なかった自己責任だとも感じています。 完全に異性への関心は無くなりました。結婚は無理だと悟りました。喧嘩は絶えないでしょうし、嫁姑問題や親の介護問題があります。何より子供を殺してしまうという事件を起こしてしまいそうです。まあ性犯罪は確実に起こさないだろうという謎の安心感がありますが。 父からも「お前は結婚に向かん。長男として実家に戻って近い内に訪れる親の介護をしろ。長男とはそういうもの。」と釘を刺されています。拒否し続ければ、激昂されるかもしれません。 幼少期に診断を受けていたら、マシな人生だったかもしれません。 母はそもそも子供を産むつもりは無かったそうです。生まれてきて申し訳なく感じます。 冬なのか、妙に鬱です。あの世は楽なんだろうなと考えが巡ります。
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